家の話し.2

タタミの部屋が無くなって、ますます障子やフスマは使われなくなります。
襖や障子は、間仕切りではないと言われます、それを隔てて隣の気配が筒抜けになるから確かに密閉性は、期待出来ません。

家は、空間が多いので空気が沢山入っています。日本の家は気が滞らない様に工夫されてきたと思います。
“気”と言うのは、本当の意味での空気もありますが、雰囲気・気分・その場の空気があります。
建具としての障子や襖は、破れ易く壊れ易いものですが、障子を通 して差し込む柔らかい日差し、襖の向こうの人への気配り、定期的な張替えによる気分転換、開き方、雪見障子の使い方など以外に多様な変化で生活してきたはずです。

以前は、家で行う行事や人の集まる事があって普段は、小さな区画で使用しておいて必要に応じて襖を外して広く使ったり、夏は襖を取っ払ってスダレに替えて風通 しをよくしたりと季節や行事によって家族一緒に対応してきた姿がありました。

障子の張替えも以前は、家族総出で遣っていた様に思います。
年に一度は大掃除のが日あり、タタミを干してたたかされ、廊下を雑巾がけさせられた記憶が私にもあります。今の家の様に個室中心の間取りではなかったので家族で生活を守っていたのでしょう。

父がいて母がいて子がいる。
家族の形に変わりはなくても生活様式の変化は、微妙に家族の雰囲気に影響を与えていると考えるべきでしょう。

大掃除が終わって、縁側で家族全員でスイカを食べる。
以前は、近所の人とも家族とも縁側がコミュニケーションの場であったりしたのです。
海外の人が、日本人を認めているのは、性能の良い車や電子製品だけではありません、礼儀正しい姿勢や文化への評価、そして日本人の家族の姿への憧れ等があります。
立派な応接間や座敷・リビングがあることに越したことはありませんが、そこで生活する人たちの“和”が保たれないのであれば、それは和風住宅とは言えません。
生活習慣を一緒に伴ったのが和風住宅だったのです。

日本人の中に伝承されてきた精神は、以前は家族の事が何もかも筒抜けの、
実は“和(なごみ)”の空間作りの中で維持されて来たのかも知れません。

2005.6.20