快眠と熟睡

最近、熟睡できないとか、眠れないとかの話をよく聞きます。
“枕を高くして眠る”の言葉通り、家は睡眠の場です。
人間には、食欲・性欲・睡眠欲そして集団欲が有ると言われます。
家が安息の場である以上、その“欲”の一つが満たされないのでは、“家”の意義は半減します。
反面、家は基本的に、この四欲が満たされる様に考えれば満足の行く物になるはずです。

それでは、“家”は欲望の塊の様になりますが、人間の本能が満たされなければ“楽しみの人生”づくりにはなりません。
働いている者にとって職場は、人生の大半を過ごす場所となります。
しかし通常、自分の思い通りに作りたくとも作り変えるという訳には行きません。

もう一方の人生の中心的時間を過ごす自宅は、当然思い通 りに工夫した場所でありたいでしょう。

眠りの条件には、“静”と“安心”があります。
これには周辺の環境と建物の構造や防犯システムが第一条件となります。
その他細かく言えば、枕や寝具・照明や音楽・リラックス出来る就寝前のお風呂なんて言うのもあるでしょう。

確かに最近の広告を見ますと『家族を守る安心のセキュリティシステム』・『ゆったりと過ごすバスリビング』となっています。
日本の警察の検挙率が落ちている今、自分の家族は自分で防衛!いよいよお風呂も汗を流すだけの場所ではなく仕事のストレスを洗い落とすリラックス空間です!と言うことらしい。

『他人を見たら泥棒と思え!』と言う言葉がありますが、この近代的な家作りや、街づくりは、冷静に分析しますと自己中心の自分だけよしの生活の様に一面 、感じてしまいます。

世の中が、変わってきているということですが、近所付き合いだとか、余暇の過ごし方が、“家”中心というのでは少し人生の広がりに欠けている様な気がしませんか?

“風”や“光”を取り入れるは基本です。 日本人の“家”づくりは、もっとダイナミックな思考が加わってこないと面 白くありません。
熊の出る様な場所でのテント・富士山の見える場所でのドラム缶 のお風呂。安全で無くとも、豪華な施設で無くとも“人”は、楽しみます。

眠れないのは、“家”という施設の問題より、実は心の余裕や時間のゆとりの無い所から来ている場合がほとんどではないでしょうか!
気分転換が、図れるのであれば、家で趣味に徹するのでもいいのですが、結局は他人に見てもらいたいし評価してもらいたものです。
外向きの近隣とのお付き合い、海外に目を向けた語学を知る喜び、友人・知人や兄弟との交流場所は、外の様な気がします。

2005.6.23