アルビン・トフラーの「富の未来」を読んでいます。
富には、財力があります。不動産や動産・預金や株そして情報です。さらに余暇・時間・余裕・自由です。
何を持って豊かというのか、この幅で考えてみたら何となく見えてきます。
日本では大抵の人が、車を持ち運転します。これだけでもアジアの中では、抜きん出ていると思われます。
太閤秀吉が、城持ちになり黄金の茶室を作っても、東京〜大阪を新幹線で3時間弱で行き来したことは一度もなかったのです。
側室を何人も持ち、その時代としては最高の生活をしていたとしても部屋にクーラーは無かったし、自分のポストをねらわれ平穏な日々は無かったのです。有り余る財産が有ってもあの世には持っていけません。
取られるのを心配するする程、財産の欲しい人は、居るかも知れませんが、“富”が活用されずに死蔵されていては、豊かな状態とは言えないのです。
庶民で無くなった太閤秀吉さんも、天守閣から庶民の生活を伺い知る事は出来ても、町にお供なしでは自由に出掛ける事すらなかったのです。
何が豊かな生活なのか!比較の対象が太閤秀吉では、極端過ぎるかもしれませんが、自由に豊かに生きることが一番でしょう。現在の生活が実は、大変豊かであることに気づくことです。
金が無い、毎月ギリギリの生活をしているとよく耳にします。
でも住んでいる家は、持ち家でも借家でも広い狭いは在ったとしても水は、水道を捻ればいくらでも出てきますし、風呂も台所もお湯が出てトイレは水洗です。
同じ21世紀にアジアにあって井戸水が飲めたらいい方で濁った川の水や水溜りの泥水を利用している人々が、多く居るというのに我々は、それだけでも恵まれているのです。
この原点の考え方がしっかりと出来れば、合理的な家造りの基礎が固まります。
基礎と土台と構造に先ずお金を注ぎ込むことでしょう。そして雨風が凌げる最良の方法を考えましょう。そして家の中で最もよく使う部分に最大限の予算を割きましょう。
掃除するだけでも大変な、芦屋の六麓荘や西宮の武庫之荘あたりにある豪邸と比較する必要は無いと思います。
通常の家の原点は、お手伝いさんが必要な豪邸にはありません。何でも手を伸ばせば届く距離にモノがあり、家族の顔が身近に見れる必要最小限のそんな家を作らせて貰ったご家庭が、一様に幸せに見えます。
外構工事、造園はその次です。家庭の団欒を何処に求めるかで駐車場や庭園工事も贅沢とは言えません。
むしろこの予算が残されていなかったために家の外観上の顔が中途半端になってしまうこともあります。基本的には、家を建てたり購入したりは贅沢なことかもしれません。
我々もそのお手伝いをさせていただくに当たって、経験を振りかざしてお客様に押し付けることは致しません。
しかし、全速力で走れる距離はしれています。最新鋭の設備で出来た当座は魅力的な家もあっという間に古びてしまいます。ゆっくりと歩いて距離を持続させて行く様な息の長い住まい造りを持続させたいと考えています。
お客様の要望と私共の体験を上手くすり合わせして良い住まい作りをさせて下さい。
|