・地球が先で我々は後
寒くなってくると着込みます。日本人の服装(着物)は、元々は軽装です。
冬、何時からこんなにも着込む様になったのでしょうか。生活している建物と関係が有る様にも思います。
冬は冬らしく、夏は夏らしくそんな生活を楽しんでいた日本人。我々はついこの間まで木と土と紙で出来ている外の条件とあまり変わらない家に住んでいました。
・石やコンクリートの家(元来日本の建物の対極にあるもの)
外敵から身を守るための家ではなく、自然に溶け込んで生活していた日本人。
抵抗するより、与えられた環境に順応することを選ぶ。開放的で風も外敵も一緒に入って来る。
石やコンクリートで堅牢に囲み外界から遮断された空間で生活を守るスタイルとは違う。
“花鳥風月”何でも飛び込んでくる生き方でした。
・暖房は火鉢と囲炉裏
自然素材で作れば、隙間風は当たり前。
「それが冬というものです」「その時季が過ぎればやがて春がくる」雨や雪は、避けたものの内と外の気温差があまり無い家。
冬、火鉢に手をかざして手を擦る。確かに寒かったけど死にはしませんでした。
寝る場所の枕もとの枕屏風は、隙間風よけです。
・自然流でないのだから自然破壊に何の躊躇もない
天から与えられた環境に溶け込んで生活をしていた日本の家屋。
開放的故に、人の心まで豊かに育てて来たのだと思います。
西洋式の高気密・高断熱の生活になって日本人は本来持っていた心まで失ったのでは・・
・なれる、まねる
「習うと学ぶ」は「なれるとまねる」です。
地球が先にあって我々が後である以上、先に存在した環境になれ、まねるが自然の流れと言うものです。
西洋の人から見て、江戸時代の江戸の街並みには驚嘆したと聞きます。
それは自然と共生しており、見た人が“田園都市”の名を使い紹介したそうです。
“田園都市”は、日本が発祥の地です。
・生きて行くより生かされていると言う感謝の気持ちを持ち続けられるか?
人生80年の時代になったと言われて久しい。
織田信長48歳・吉田松陰29歳・西郷隆盛49歳、それらの没年齢と比較して人生の期間が長くなったからといって80年間充実しているかどうかは別
問題です。
長生きしたくないと言っているのではありません。生命である以上、自然に委ねるとはいえ、健康で長生きは目標です。しかし、ただ長いだけでは・・・
・生活する家の仕組みが過保護となれば感性は当然、低下します
現在建てられる現代風の家に住む以上、自然と分断されている訳ですから動物としての本能を取り戻すには努力がいります。
自然に積極的に触れ合ったり、楽しむ機会を強制的に作ることで多少カバーは出来るでしょうが、日常的でない以上、感受性の低下は避けられないのが普通です。
そして一度慣れますと元に戻すことは、さらに難しいのです。
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