・人は、“いつかは散る”死亡率100%の生き物です。
梯久美子さんの書いた「散るぞ悲しき」を読みました。硫黄島総指揮官 栗林忠道中将の話です。
国の為に自分の命を懸けて戦った人達の話です。
試写会で第二次世界大戦の硫黄島を扱ったアメリカ映画「父親達の星条旗」を見ていましたので内容がさらによく理解できました。
この映画は、現在上映中でさらに「硫黄島からの手紙」が二部作として12月から公開されようとしています。
・ナゼ興味を持つのか!
栗林硫黄島守備隊総司令官は、万歳突撃による玉
砕を禁じ3倍以上の兵力、数十倍の物量のアメリカ軍に対し徹底的持久戦で対抗しました。
死ぬ方が楽だと言われたこの戦いで、最後まで戦意を失わせなかったのは、彼のリーダーシップによるところが大きかったと思われます。
それと大量の空爆にも係わらず、簡単には崩れなかった総延長18kmに及ぶゲリラ戦用に用意された手作りの地下壕です。
・硫黄島は22kFです。
皇居が115ヘクタールつまり、115kFですから皇居の四分の一程度の小さな島です。
ナゼこの島を守るために日本人約21,900人の人達が死ななければならなかったのか?
そして、アメリカ人約7,000人の犠牲者を出してまで(戦死傷者は28,686名)奪取する必要があったのか?
第二次世界大戦において日本領土内における初めての戦いであったからです。
アメリカにとって硫黄島の空港を足場に日本本土への本格的空爆の拠点として利用出来るからでした。日本総攻撃の橋頭堡として確保することが目標でした。
・栗林忠道さんの家族への手紙
硫黄島では、国の為に戦って死んだと言いましたが、栗林さんの手紙を見る限り国の為と言いますより家族為、妻の為、子供の為、親の為に死んだと言うのが正確です。
この狭い島をアメリカ軍は、3日もあれば落とせると考えていた様です。それを日本軍22,000人で1ケ月半死守しました。
現在のアメリカ軍も遣っているように先ず空爆を徹底的に先行します。そして上陸前にさらに徹底的な、艦砲射撃。
アメリカ軍が上陸する前の硫黄島は、木一つ生えていない焼け野原で、こんなところにもう人はいないだろうとも思えるほど悲惨な状態まで攻撃の手を緩めませんでした。
・栗林中将は、武官としてアメリカ、カナダに駐在していました。
残された手紙を読む限り当時の軍人としては、異例に現代的な家庭観・家族観を持っていた人だと思います。そして、アメリカの事情にも詳しかった。
当時の優秀な軍人さんで海外赴任地の最も多かったのはドイツ駐在で陸軍の幹部の中でも、アメリカ通
は少なかったと思われます。
アメリカの国力を知り尽くし陸軍のアメリカとの戦争反対論者の一人です。
・地下壕は、発見されるたびに手榴弾が投げ込まれ、火炎放射機で焼かれました。
並の精神力では、簡単に降参する非情な遣り方です。
西行は「願わくは花のしたにて春死なむ、そのきさらぎの望月のころ」と歌いましたが、硫黄島では仲間の死体を下に死んでいく地獄絵です。
自分や仲間の死を目の前にナゼ鬼神なれたのか現代人の想像を超えます。
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