・嫌でも何時か死ぬ我々は、何を残したいか。
建築屋の場合、“建物”と言う作品が残ります。しかし、本当はその作品の骨格となる哲学を持ちたいと思っています。
何か偉そうに聞こえるかもしれませんが、我々の様な職人だって常に掲げる目標があります。その目標を達成するための手段、方法を我々は組み立てて行きます。
その時に活かされるのは我々が育ってきた環境や経験や人生で出会った考え方や思想です。
・何が一番嬉しいか。
我々が建てた建物で、幸せに過ごしてもらっている場面
に出会うのは、最も嬉しいことの一つです。
建物に思想や哲学はいらんやろ!と思われるかもしれませんが、仏師が“仏像”に魂を込めるような精神です。
その建物が、その家族にとって、その地域にとって、その会社にとって、社員さんや店員さんにとって、必要で喜んでもらえた時に我々の仕事は報われます。
・硫黄島の地下壕は、ナゼ堅牢だったのか。
硫黄島に行ったわけでは有りませんので、すべて想像ですが摺鉢山の活火山の島は、火山岩の塊です。そこを終戦末期に地下壕を掘り進むのも今の様に、削岩機を使いながらと言うより、ツルハシ、ハンマー中心で遣ったのだと思います。
当時、セメントは貴重品ですから補強に大量に使われたとは思われません。
大量の爆撃にも係わらず簡単に崩れなかったのは、自然の要塞の本領を発揮したのが最大の要因なのでしょう。
・地下壕が未完成の内に硫黄島は、開戦となりました。
兵士たちは、自分達の墓場となる地下壕を作ります。戦闘が始る前にこの作業だけでもかなり消耗したはずです。
食糧事情も決して良くなかったはずです。水は雨水に頼るしかなく、食事は粗食。
それだけでも、戦意を喪失するのに十分な上、戦争は援軍のほとんどない上に、連日の空爆から始ります。
勝見込みのない戦争にナゼ命を懸けられたのか・・・
・使命感は、恐怖心を超えられるのか。
仕事は、“お金”を稼ぐ手段。確かにそうなのですが、実はそれだけの目標で人生を組み立てたのでは、一面
的で虚しくなるはずです。
“金”が流通していなかった時代の人の喜びは、褒めてもらったり、喜んでもらったりすることであったはずです。
人生で命を懸けてまでしなければならないと思うことがあった時代が過去にはあったのです。
現代は、あらゆる事が軽いノリで行なわれがちです。それを打破するのが、危険・汚い・きつい職業の建設業でも“使命感=哲学”を持ちたいと言うことです。それが、今の我々の勲章になります。
・米軍は、800隻の艦船、4,000機の航空機、総数25万の兵力で襲い掛かります。
勝ち目のないアメリカとの戦いを最も知り尽くしていた栗林総司令官は、200名の兵士と共に突撃します。
「国の為重きつとめを果たし得で矢弾尽き果て散るぞ悲しき」栗林53歳。
命懸けで守らなければならないものを仕事で持つことは、我々にとっても目標です。
|