条 件2

終の住み処を“棺桶”だと言ってしまいましたが、肉体が残った状態で最後に必ず寝される場所なので極論すればという話です。
究極の終の住み処は沖縄の亀甲墓の様な死者の住まいのようなお墓もありますが・・・

すまいの条件はそれ以外にもあります。
最近は、日本でもホームパーティを開くお家が増えたそうです。私にも毎年呼んで頂いているお客様があります。
庭に突き出したバルコニーで食事をしたり、ワインを飲まして頂いたりと他人の家の食事を楽しめて呼んで頂きますとレストランでは味わえない感激をします。

以前にも言いましたが、人には食欲と性欲と睡眠欲そして集団欲があります。
それらがバランスよく、しかも安心して行えるのが“住まい”の条件になると思います。

ホームパーティは大袈裟でも、複数の家族が集まってお茶を飲んでゆっくり寛げるスペースは、欲しいのが普通 になりました。
それは、都市の過ごし方の変化の兆しだと思われます。
以前は、個人生活優先で、「隣は何をする人ぞ」みたいなプライバシーとプライベートを守ることが一番と、鍵一つで安心して出掛けられる条件でマンション住まいを選ばれていた人達がいたと思うのですが・・・

この変化には、二つの要素があると言われます。
一つは、人間孤独で居るより矢張り親しい集団で過ごしたいのです。
もう一つは、飲酒運転をして帰るわけにいかないので、持ち回りで歩いて帰れる近所の人と家庭料理の食事会をして飲食する機会が増えた。地域コミュニティーそんな要素も手伝っていると言うのです。

最近は間取りにリビング(居間)キッチンやダイニング(食事室)キッチンが普通 になり、家の中にそんなスペースがあるのが当たり前になっていることもあると思います。
形から入るのか、生活スタイルから入るのか、どちらにしろ我々生物にとって食べることは重要ですし、高齢化社会である程度安価で楽しみの有る事は、大事です。

元気で長生きしているお年寄りの特長を見ますと、社交的である事と自分の歯がある程度確実に(噛む力=食べる力が)残っている事だそうです。
ホームパーティは、喋ることと食べることが確実にあります。長生きするための場所であるべき家、集い楽しむ家にホームパーティの出来るスペースは、やはり必須アイテム(条件)の様です。

贅沢を言えば、身内・友人、知人が呑みに来て泊まる部屋まであれば申し分在りませんが、家を持つと言う事は、安全を確保するだけではなく、住まいの空間の中に楽しみを具現化出来るスペースが在る事がさらに好ましいのかもしれません。

ともかく条件を整える事、そしてその条件を活用することが、楽しみの人生を推進していく切っ掛けとなることは確かだと思います。

2007.1.10