アルビン・トフラーの「富の未来(下)」の〔孤独という伝染病〕の中に、
「いまではアメリカの全人口のうち、いわゆる標準世帯、つまり父親が外で働き、母親が家にいて、18歳未満の子供がいる世帯の人の比率は25%を下回っており、1960年代とは様変わりしている。アメリカの子供のうち31%は、片親か親のいない世帯で暮らしている。65歳以上の人口のうち約30%が一人暮らしである。また、結婚したカップルのうち50%が離婚しているなぜなのだろう。アメリカの若者はいまでは、最初の結婚はいわばリハーサルなので子供を作らないようにし、ほんとうの結婚はその後にすると考えるようになっている。アメリカで孤独という病が蔓延しているのも不思議ではない」と記述があります。
社会秩序の様に家庭を持ち一つ屋根の下に暮らし、子供を作り育てて社会へ送り出す。社会の構成員である我々が、当然のように行ってきた秩序が日本でも同じ様に崩壊していきます。
私の亡くなった、両親も結婚50周年の金婚式を自分の子供達家族から祝ってもらい、私の家内の両親も同じ様に金婚式をお祝いしました。二組の夫婦の内少なくとも、私の実の両親にその時にインタビューすれば、この50年間を振り返ってのキーワードは“忍耐”と表現するでしょう。
人の楽しみ方は多様ですから、一人でドライブしている時が一番楽しい、一人でテレビゲームしている時が一番楽しい、一人で山歩きをして壮大な景色を独り占めにしている時が一番楽しいとそれぞれに楽しみ方はあるでしょう。
一度きりの人生であれば人生とは、耐えることではなく楽しむものと、そんな割り切り方で過ごしたところで一緒に楽しむ相手無しでは真に楽しめない様な気がするのですが・・・
私が、鹿児島の伯父に結婚式の案内状を届けた時、伯父から「この結婚の相手が、自分にとって前世から決められた最良の相手であると思い込め」と諭されたことがありました。
私も今年で結婚28年、子供が3人いて子供が生まれてからは確かに子供中心の生活となりました。
子供が中心の生活には、受験やイジメや就職活動としんどい場面
も幾度かあったものの今振り返って見ますと、子育てで得られた人間関係の大きさにむしろ感謝します。
アルビン・トフラー氏の言うように、我々の側に委ねられてはいるものの、過去に我々が豊かだと感じた“富”を振り返ることで本物の“富”を確保する可能性があることに気づかされます。
我々が生活する住まい=家が、愛憎劇の舞台にだけ使われるのではなく、豊かな人生の保護・補完・育成の“場”として活かされるのであれば建築屋としてこんな嬉しいことはありません。
時代が変わり、人心も変わります。しかし、普遍的で守るべき物を維持発展させる姿勢が今後益々必要になるのかもしれません。
何時も繰り返し言いますが、建物はどんなに立派に建て様がこれはハードウェアに過ぎません。そこで生活し、参加する人達のソフトウェアをどう組むかで活かされも殺されもします。そしてソフトがしっかりしていれば、小さいながらも楽しい我が家に出来るはずです。
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