窓越しの風景

我が社の事務所前の通りは、朝は通学路・夕は散歩道となり一日中結構人通 りがあります。窓越しに仕事の手を止めては、通 り過ぎていく人達や、散歩に連れて行く犬に見入ってしまいます。

駅前の分譲マンションが、中高年に買われているそうです。郊外の一戸建て住宅を売って駅前マンションに買い換えるそうです。
年を取って庭を管理することも大変になったし、自動車を高齢で運転するより、電車で出掛ける。買物にも、趣味の教室に通 うのも、映画を見に行くにも便利です。
それ以外に私は、窓から人の動きや生活の風景を身近に感じられるのがいいのだと思います。庭のある一戸建て住宅の場合、確かに季節の変化は感じられます。子供達も大人となり独立してしまい、町で働き仲間と仕事をして来た定年退職者も郊外に引っ込みますと、人恋しさはあると思います。

一方都市部での新築分譲マンションの売れ行きに陰りが見え始めていると聞きます。都市周辺の地価が上がり、その分だけ全般 に分譲価格が上昇していることが原因です。
マンションの購買層は、ローンで購入します。35年ローンで買えば延べ3000万の借金の物件は、ローンの返済を終える頃、元利金でおおよそ倍の6000万近く払うことになります。35年は420回払いです、一回の支払いは、14万円以上になります。つまり当然ながら毎月々それだけの負担ができる人か、自己資金を潤沢に持っている人にしか買えません。
マンションのチラシで価格帯を見ていますと、2000万台から1億以上の物件まで幅広くありますが、高ければ高いほど購買層は、所得の層が減る分当然制限されていきます。

その反動で中古マンションが売れているそうです。つまり新築マンションを買えない所得層が、中古のマンションを物色しているのです。
中古のマンションにもローンは付けられますし、改装の為のリフォームローンもあります。駅に近いとか買物に便利とか、機械式ではなく平面 の駐車場があるとかそんな優良な中古マンションは、若干値を上げていると聞きます。やはりここでも需給のバランスが価格に影響を与えます。

食事をしたりお茶を飲んだりする場所で景色を楽しめるのは嬉しい条件です。打ち合わせをしていても私など景色に気をとられて話半分しか聞いていない様な時が有ります。
人は目から受ける情報が一番大きく影響を受けます。隣地に建物が建つ際、眺望権を主張するケースが有ります。今まで見えていたものが見えなくなるのは寂しいかもしれません。その見えていた風景は時には、富士山であったり、祭りの花火であったり。
でも、都市では建築基準法に基づいて秩序正しく建築をされますと、お互い我慢をせざるを得ないのが現状です。

町での窓越しの風景は、やはり人の動きを楽しむしかありません。季節が変われば人々のファッションも変わっていきますし、それに少ない緑でも街路樹や中央分離帯の緑にも変化は感じられます。
マンションを買う場合の条件は、値段や間取りやデザインや意匠・構造・管理のサービス等に加えて永年生活していく場所である以上この毎日眺める窓越しの風景は、意外に重要です。
私の娘婿の買ったマンションの眼下には葬儀会館が見えます。この真横の分譲の部屋は最後まで販売が遅れたと言う事ですが、喪服を着た人が沢山うろついたり、出棺の風景が見える、お経が聞える。寺の横は、嫌がられないのに、葬儀場はイヤという人がいます。墓地の隣は静かでいいという人がいますが、葬儀会館は嫌がられます。
私はこの景色に親しみを感じてしまいます。形は兎も角、いずれこの景色と同じ様に自分も何時かは、必ずお世話になるからです。

子供の頃、近所の葬儀に興味がありました。子供心に人が大勢集まって行われるこの行事は、好奇心の対象でした。始めから終わりまでずーと見ていたことを覚えています。
死んだ人を沢山の人が送り出して行くこの習慣は、社会で子供が大人の世界を覗けるそんな機会でした。

賃貸マンションの管理をしていて過去にこんな経験があります。
ワンルームマンションで自殺があったのです。前使用者の“自殺”は、賃貸の場合重要事項説明の欠かせぬ 条件です。
その時、その地域でたまたま物件を探している若い女性がいてその事を説明させてもらいますと「私、“霊”にすごく興味があるのできめます」と言われたのでした。
人の感性は、百人十色です。 賃貸の場合、一度住んでもらえれば「自殺された部屋」の条件は、自殺した部屋では無くなり、その次から説明から省かれます。
賃貸マンションにも自殺のほか、独居老人の孤独死も最近よく聞きます。

以前いた会社で下請けの職人さんの死亡転落事故を経験したことがありました。
解体の現場で天井をぶち抜いて転落したのです。28年ぐらい前の話です。遺族の方に連絡を取りたかったのですが、雇い主も本人の事を余り知らず家族のいる事すら分からず時間を掛けて警察で調査した結果 、四国の徳島の人であることが判り、遺骨と見舞金を持って訪問したところ20年位 行方不明で全く連絡も無く、老母が死んだと思っていた息子の遺骨と一緒に当時にすれば大金の見舞金が届いたので、「今までお世話になった」と言われ「音信不通 の息子が世間様に迷惑を掛けずに真面目に働いていたことが判り嬉しい」と言われ感謝されたのでした。
でも遺骨になったとはいえ、この人にとって帰る家があり、待っていてくれた人が居たことは恵まれていたと思います。
現場の死亡事故です、身内の方から元請として怒られるのを覚悟で訪問し、遺骨を見て泣かれることばかり想像して行っただけに、肩の荷を降ろした不思議な体験でした。
「生まれては死ぬるなりけり何者も釈迦もだるまもネコもしゃくしも」と一休禅師は言っています。死ぬ のは人の必ず通る道です。色々なドラマがあります。

『殯(もがり)の森』で第60回カンヌ国際映画祭審査員特別 賞を受賞した映画監督 河瀬直美さんは、「たくさんの困難があり、人はよりどころを求めるが、形のあるものではみたされない。光や風、先祖など目に見えないものに支えを見付けた時、人は一人で立っていけるのだろうと思う。そう言う映画を評価してくれてありがとう」と言っています。
河瀬さんは、目に見えないものと表現されましたが、窓越しに見える風景にその見えないものを感じ始めた時、人は本物が見え始めるのだと思います。

2007.6.7