高野山参拝

山田の真言宗圓照寺さんに一泊で、高野山参拝に連れて行ってもらいました。
高野山には日帰りで何度も行っていますが、初めて宿坊(南院さん)に泊まり、翌日午前6時30分から食前の勤行にも参加させてもらいました。

高野山は、弘法大師が816年に真言密教の根本道場として開創、東西6km・南北3km・周囲15kmの盆地に120余りの寺院があります。
1万人を超えていた町の人口は、現在5000人を下回っているそうです。

京都に近い天台宗の総本山のある比叡山は標高848m、高野山はおおよそ標高900mだそうですが、紀伊山地に囲まれた高野山は今でこそ、電車・ケーブル・バスを使って気軽に上がれますが、密教の聖地として開山当時から近世に至るまで、僧侶や信者は参拝するだけでも相当苦労をして訪れたに違いありません。
現在高野山は、「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産に登録されています。

“先祖供養”という言葉があります。真言密教の開祖であるお大師様(弘法大師)も仏教を説かれたお釈迦様も実在の人物です。
人間として生まれたお二人も、釈迦如来となり弘法大師は「南無大師遍照金剛」と唱える信仰の対象です。
二人に共通しているのは、当時としては大変恵まれ、わざわざ苦労せずとも良い家庭環境に生まれ育った事です。
人間として生まれ苦労し、努力した人を死後我々は、“神”として信仰の対象としています。
全く素人の解釈ですが、優れた人間の先輩を崇めて信心するのは、自然崇拝が基盤の神道に通 じる仏教の一つの特徴の様な気がします。
“先祖供養”の一つは、家に仏壇があってその家のご先祖を子孫が日常的に供養して行くことです。
キリスト教のイエスやイスラム教のアラーを信仰するのとは、根本的に違う様な気がします。

亡くなった父や母に感謝して法事を行ったり、空海をお大師様としてブッダを釈迦如来として信仰するのも基本は先輩達の努力に対する尊敬の念から出ていると思います。

お釈迦様は、人生の哲学を説かれた哲人ですし、弘法大師は、修行の道の厳しさで僧侶が人間の手本として社会で活動することを説かれた様に感じます。
死ぬまで生きて行く我々は何を拠り所にすればいいのでしょか?それは先輩方の生き様にほかありません。

高野山に2日居て、何度も「般若心経」を唱える機会がありました。“お経”は難しいです。判りません。判らないから有難いのでしょうか?そうではないと思います。先輩達に語る言葉であるから有難いのです。きっと!死者を送るときに唱えたから“お経”は、懐かしい思い出の人に再会する機会を与えてくれるから有難いのです。
そして話す言葉は、時代に応じて変わっても“お経”は昔も今も一緒です。

高野山の帰りに麓にある丹生都比売神社(にうつひめじんじゃ)に寄りました。弘法大師が山上に修行場を開く前にこの神社の神域であったため尊厳をもって高野山山上に分祀した経緯があります。
お坊さんが神社に参るのです。弘法大師以前に鎮座する先輩の神様に参るのです。先祖供養は、先輩を崇めるのです。その精神が真言密教の根本的な考え方の一部を少し垣間見た気がします。


南院さんの玄関屏風絵

金堂と根本大塔

総本山金剛峯寺 門前アプローチ

奥の院を望む
(これ以降の撮影は禁止されています)

丹生都比売神社 太鼓橋

丹生都比売神社 神殿
 
2007.6.21