原爆が落とされ廃墟となった広島も長崎も復興してその当時の面
影は、現在ほとんどありません。
私の両親は、昭和20年父30歳・母25歳で福岡県小倉市に居住していました。原爆投下の第一目標は、小倉です。
近くの空襲の残煙で目視がきかず第2目標の長崎が結局、標的となり両親は被災を免れました。生かされた「運命」を感じます。
戦後生まれの私は、小倉に原爆が投下されていれば生まれていません。
昭和20年8月6日の広島原爆で、その後含めて延べで22万7000人が亡くなり、続いて8月9日の長崎で7万3800人が亡っています。
B29のスウィーニー機長は、投下直後の9月に廃墟の長崎の爆心地に入り、この時の心境を回想録に「後悔も罪悪感もなかった」と記しているそうです。
敵国と敵の国民は、虫けらにしか見えなかったのでしょう!
その点、使命感と命令で精神がそうなれるとしたら、地球上で人間ほど残酷な生き物はいないと思えてきます。
国と国とが、憎み合い殺しあう戦争。
「一人を殺せば殺人者になるが、国の命令で何万人も殺せば英雄になる」戦争の酷さはむしろ国の為なら殺しあうことが当然となる、この心理状態にあるといえます。
「勝てば官軍、負ければ賊軍」我々は、敗戦で負けることの惨めさをこの時に思い知ったはずです。
国土を9.11以外に直接空襲された経験の無いアメリカ。国土は広いとはいえ密度の高い都市が多いだけにニューヨーク9.11の国際貿易センタービルの様な狙われ方が今後もテロリスト達によって計画される可能性は高いかもしれません。
なぜなら国に侵入してきて戦争を仕掛けられ国土を蹂躙される苦しみが、やはり判らない国への報復はそんな形になるのではないでしょうか!
「因果応報」という言葉があります。戦後の我々の幸せな生活は、失うものをすべて失った廃墟の中から立ち上がった勤勉な日本人の先輩達の賜物です。そして、日本の起こした戦争により犠牲になった多くの方達の“平和”への希求によるものだと思います。
我々現存するものが、ついこの間の、その事を忘れて“感謝”なしで生活すれば、「因果
」は巡ってくるようにも思います。
我が社も今年は8月12日からお盆休みとしました。先祖がお帰りになるこの機会に過去をしっかりと振り返りたいと思います。
この盆休みの間に私は、日本映画『夕凪の町・桜の国』を見てきました。お盆にお盆らしい映画が観れたように思います。
広島の原爆で身内を失った家族の話ですが、我々が語り継いでゆくべき62年前の出来事を13年後の昭和33年の広島と現在の広島を舞台に淡々と描き我々に訴えます。
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