『山』を越えるのではなく、登り続けること

私共のお客様で、若い頃山登りの好きだった方が居られます。米寿になられ現在は、上がって来た山を麓から眺めるばかりですが、今でも我々と会って話されるしっかりとした口調と頭脳は、永年足を鍛えてきた習慣の中で維持されて来たのかも知れません。
山歩きは、私の趣味でもあります。私も後30年して自分の登ってきた山を指さして若い頃登ったと言えるように元気でありたい。

今、山歩きは中高年で花盛りです。“花盛り”と言う表現がこの場合正しいかどうかわかりませんが、中年のおばさん達は、何処ですれ違っても特に足も口も達者だと感心します。
でも一方、山岳事故の記事を新聞で見ますと年齢の高い人達が最近は多いことも事実です。
このゲーム性の無い山歩きは、若者達には魅力が無いのでしょうか・・・

私には、山歩きをする仲間がいます。続けられる要因としては、一緒に行く人があるのは大きいと思います。
脳力開発を提唱された故城野宏先生は、“手と足と口”を使えと言いました。脳を鍛える基本だと言いました。脳力開発は人間学だ、とも言いました。
“手と足と口”を使うことを孤独に一人で遣るのではなく、コッコッと人間関係を広げて行くと、その事で“手と足と口”を使うチャンスが増えて益々脳は活力を持つと!

若者達は、歩くだけで何が面白いと考えているのでしょうか?
確かに、ロープウェイやリフトやケーブルやドライブウエイを横目で見ながら登ることも有ります。何もしんどい思いをしなくても、そんな道具を使えば簡単に上がれるのに何のために歩いて登るのか判らないのでしょう。

大阪情勢判断学会の前代表幹事の故芝原健夫先生は、仕事を独立した時、「前の会社をクビにして来た」と言いました。私も“クビには出来ませんでした”が、独立して6年になろうとしています。
独立と言っても私の場合、50歳を過ぎていましたから遅いスタートです。その際に、脳力開発と山の会は、基本的なところ、持続力と言った点で、大きく役に立ったと思います。
脳力開発は、『行動せよ・整理せよ・反復せよ』です。山登りも恐らく同じです。脳力開発は、目標(戦略)を持てです。ゴールの無い山登りもありません。

実務は大事ですが、それを支える基本姿勢が役立つのは、仕事も人間関係づくりが基本だからだと思います。
コンピューターは、あらゆる事を叶えてくれます。早くて楽です。私も少しは使えますし、確かに便利です。亡くなった寺山修司さんが言われたように「書を捨てて町に出よう!」です。今は、「コンピューターを捨てて町に出よう!」です。

人類は、二足歩行になって進化を早めたはずです。脳力開発が、“手と足と口”を使えと言うのも、我々人間が脳を進化或いは維持発展させてきた基礎に、或いは赤ちゃんが、手と足と口を徐々に使いこなしながら成長して行く様に“脳”があるから出来るのではなく、手と足と口を使うから脳が発展することを教えられます。

インターネットを通じて交信するより、直接会って話をすることが大事です。
インターネットが、人間関係作りに役立っているのであれば結構ですが、ますますコンピューターを通 じてしか交流出来なくなっているのであれば、これは退化の方向のように思います。

2007.10.2