『還暦』
  〜 齢60を迎えようとも、実はカモメの方が上の存在ではないのか?

今年は団塊の世代である昭和22年生まれの人達が、“還暦”を迎えます。
私の前職場の先輩であるI氏も5月に、60歳となりました。お互いに30歳代からのお付き合いです、仕事で遅くなってそれからまだ飲みに行って、といった付き合いをしていた頃から比べれば、元気さは見る影もありませんが、「元気な内に遊んどこうや」と会うたびに言われます。

寺山修司さんは、「カモメは、飛びながら歌を覚える。人生は、遊びながら年老いていく」といいました。
渡船屋の釣りイカダの上で雨に会い、寒いので懐炉を買いにイカダから抜け出している間にカモメに置いておいたエサを見事に食われたことがあります。海の上が油断なら無い場所であることを思い知った日です。
カモメや鳶は、上空から餌を狙いますから眼は間違いなくいいです。我々は、遊ぶ時まで気を許してはならなかったのです。

嘘のような本当の話ですが、私の知り合いでカモメを釣った人が居ます。釣り上げた魚にカモメが食らいついたのです。
我々は、どんなにいい道具を持ちエサを吟味してもカモメの捕獲力に勝ることはありません。空から見る鳥瞰の視点に我々は海上で立つ訳にも行きません。自然の力以上の釣果は訓練と様々のエサと高額な釣竿を駆使しても追付く事はないのです。

負け惜しみのようですが、魚釣りは海のオゾンを吸い、自然を楽しむ事が第一だと思っています。
カモメは、我々の事を空から海に浮かびながらどう見ているのでしょうか?
カモメの魚とりは、身一つです。彼らは、エサもオトリも道具も使いません。彼らが持っている能力で魚を意図も容易く捕らえます。
寺山修司さんの言ったように「カモメは、飛びながら歌を覚える」の通 り、彼らにとっては飛ぶことも泳ぐことも魚を捕ることも、餌場を見付ける事も自然に身に付いた能力です。無理と無駄 が無く手軽な技です。

寺山修司さんの言った「人生は、遊びながら年老いていく」も我々が自然の能力そのままではなく、不自然に生活することで“人生遊び”の様になっているのだと思います。遊ぶために金を稼ぎ、金の為に働き溜める。マネーゲームをしながら人生が過ぎて行きます。

還暦を迎えた人生の先輩から、ゴルフ・釣り・旅行・グルメと誘われています。たまに仕事を離れることは、確かにいいことです。
人生80年として、残すところ20年。365日×20年は、7300日。内三分の一は、寝てるから我々には残すところ5000日もないで!と焦らせます。その5000日だって元気で生きているかどうか判らない。これもゲームの様なものです。
故寺山修司氏は、青森県弘前市の生まれですが本人は、「走っている電車の中で生まれ、ゆえに故郷はない」と表現しています。満47歳で敗血症で亡くなり列車で走り去る様な人生でした。寺山修司さんと比べれば、既に我々は10年長生きです。感謝しなければなりません。

遊ぶにもお金が要るといいますが、一番必要なのは体力です。体力無しに遊んでも苦痛です。
「カモメは、飛びながら歌を覚える」様に、我々も何か改めて遊ぶのではなく、生活の中に楽しみを見付ける事が大事です。
原始時代は、恐らく鳥を撃つことも、魚を捕ることも、木に登って木の実を取ることも楽しみながら生活していたに違いないのです。
ナゼなら、我々は生きていたのでは無く、生かされていたからです。

2007.10.3