座敷

元の職場の大先輩である方のお通夜・告別式に出席させて頂きました。
検査入院の為と聞いていましたが、入院して1ヶ月経たずに旅立たれました。
入院されるまでは、地元のあらゆる行事に元気に参加されていたと言う事です。

我々建築屋は、お客様のご逝去に際しては、ご自宅へお悔やみに伺うことが多いいです。
普段は玄関先で失礼しても、この時は我々が、建築させて頂いたお宅に上がらせてもらいます。その時、仏様は座敷で寝ておられるのが普通 です。
我々は、近年洋風のお家を建てることが多くなり、座敷に大きなお金を掛けられるケースは、少なくなったと思います。我々の基本姿勢も、日常的に使用する場所へ最大限投資されることをお勧めします。
しかし、以前に建てさせて頂いたお宅は、立派な座敷の在る家があります。床柱も地板や欄間・落掛け・違棚そして天井板にもお金を掛けて頂き立派な意匠のものがあります。今の若い人達には、判らない価値かもしれませんが・・・

自宅で葬儀をされるケースは今もありますが、会館で葬式をされる場合でも病院で亡くなって一旦自宅に帰ってくるのが遺族の気持ちとして当然です。
この時だけは、座敷の在る事のありがたさを感じます。自宅に帰ってきたご遺体も場所を得て落ち着いて見えます。

「座敷」を辞書で引きますと「畳を敷きつめた客間」とあります。日常生活する空間とは別 の場所として確保されています。通常は、お客様の為にお通 しする部屋を用意している訳です。亡くなって自宅に帰ってきて家人は初めて座敷に寝るのではないでしょうか。

布団や衣装は日常にお使いになっているモノを使ったとしても、その場所は、死んで初めて寝る特別 の場所になります。
暗い話で申し訳ないのですが、多分この事は家を持っている方全てに共通しています。
ナゼそれ程にその事に拘るのかと言いますと、結局何時かはその場面に自分の番が回ってくるからです。

弘法大師空海の教えに「背暗向明」という言葉があります。
「暗きに背を向け、明るきに向かう」
暗い部分にこだわって停滞するより明るさを求めて前進すべき!死ぬ ことに準備をして生きるのではなく、家の中にお客様を受け入れる空間があり、閉鎖的な生活をするのではなく、色々な方が出入りし賑わうことも持ち家の大切な条件の様に思います。それが団欒です。

家は、プライバシーを守ることも大事です。気兼ねなく生活したいですから。
その一方で、お客様の出入りする空間が在る事は贅沢ですが、その場所が座敷でなくとも少し、工夫すれば間取りは取れます。
そこで友人・知人・親戚・子供たちの友達等が集って交流できることは、大きさに関係なく豊かな家の役割の様に感じます。

2007.10.27