滞在期間4日間とも天候には、恵まれましたが気温は思ったより低く肌寒いでした。 台風通過後と言う事もあり、おそらく日中でも20度を下回っていたと思います。
台湾は、人口2300万の国ですが主な交通手段にバイクが使用されています。1300万台あるそうで、通勤ラッシュ時は道路に単車が溢れます。
20歳になると男子は徴兵検査が義務付けられています。
日本の戦時中と同じで身体検査があり「甲・乙・丙・丁」でランク付けされ、基本的には甲の身体頑健な者が兵役となります。
現在台湾の兵隊は、40万人それに46歳までの予備役60万人を加え非常時の戦時体制は、100万人の軍隊規模になるそうです。
徴兵制があるため大学受験生は、2年の浪人しか許されません。ナゼなら18歳受験で20歳で徴兵だからです。 軍隊に行ったものは、就職でも結婚でも身体が丈夫であるとの折り紙がつくため有利だそうです。兵役を免れたと喜ぶ訳にはいきません。
町並みは、電信柱がなく配線が目立たないため、その点ではすっきりとしています。 但し旧街区は、看板が派手に付けられているため賑やかな印象です。新都心は、大阪や東京の町並みと変わりません。 土地取引の単位は、日本と同様“坪”です。
「TAIPEI101」に行ってみました。現在世界一の高さのビルです。
地下5階・地上101階で高さ508mです。日本一の横浜のランドマークタワーが296mですからそれより212m上回る建物でした。それでも近々ドバイに建築中の超高層ビルに高さが抜かれるそうです。
ここで使用されているエレベーターは、東芝製で時速60kmで89階の展望台まで37秒で到達します。制震装置は660トンの球状のモノで公開されています。
台湾は、私が行った外国の中で最も日本語の通用する国です。治安も悪くありません。11月30日に士林の夜市に行ってみました。台湾は、ビル・住宅共に高架水槽を使用していて定期清掃か十分でない場合が多く生水は、飲まないのが無難と案内されましたが、我々は夜10時頃に行って美味しいかき氷を皆で沢山食べましたが氷ではお腹は、こわしませんでした。
現在行われている地下鉄工事は、大林組が受注して遣っているということでしたが、走っている車の主力は、トヨタ・日産・三菱を中心とする日本製の車が中心です。タクシーも同じですが、色は黄色に統一されています。タクシーに乗ってみた印象は、料金は安いのですが、運転はかなり手荒い印象です。日本の昔の神風タクシーです。
バイクもヤマハを始めとする日本製は目立ちました。台湾のキムコのバイクは、日本でも時折見かけますが、台湾では安くて人気があるようです。町の到る所で台北の町は、バイクショップの店頭の様に単車の駐車が目立ちます。
「台北市の国立故宮博物院」は、整備が進んでいるそうですが常時展示されているのは全体の宝物の20分の1にも満た無いということです。
一巡するには20年以上掛かるその財宝の質と密度の厚さには圧倒されます。
第二次世界大戦の際に日本軍の侵攻から避難する際に当時の国民軍が清朝の財宝を移動させ、さらに国共内戦が激化するにつれ中華民国政府の形勢が不利になった為さらに移動、最終台北に落ち着いたため北京の紫禁城(故宮博物院)は、現在ほぼ中身の無い世界遺産です。
「忠烈祠」は、戦没者の慰霊施設で衛兵の交代が観光の目玉となっています。
衛兵が、不動で立っている姿は、蝋人形の様に瞬きもせず見事なものでした。この人たちは、身長・容姿等選ばれた兵隊さんと言う事です。
「台湾民主紀念館(旧中正紀念堂)」は、改名することによって蒋介石の威光を否定したと言われています。
蒋介石の座右の銘「大中至正」(中庸が最も正しいと言う意味)が我々が訪れた時は、まだ残っていましたが12月6日から正門から取り外しを受けた様です
「九扮(きゅうふん)」は、元金鉱山の町で切り立った階段の街です。
映画監督の宮崎 駿さんは、「千と千尋の神隠し」を制作する際にインスピレーションを感じた街としても少し知られた処です。
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