姑と嫁

懐かしいお客様から電話があった。
顔面神経痛になったので、いい医者を知らないかと聞かれた。 大阪府の知事であった黒田了一さんも顔面神経痛で悩まされた。
神経が参って顔に出てしまったと、その上品な奥さんは言われた。

もうこの奥さんとの交流は、前に居た会社の時のお付き合いなので、15年以上前の話である。その時、黒田了一知事が通った治療の話が 印象に残っていたのだろう。

その時は、100坪を超える木造の和風の住宅を建てさせてもらった。
受注金額は外構工事、庭園工事を含めて1億5000万は超えていたと思う。
門構えといい、座敷から見た庭の雰囲気といい、印象に残る仕事であった。

切実な思いから会社の変わった私の事を思い出し電話を頂いたが、私には、アドバイスできる記憶が乏しく残念ながらこのお医者様とか、この病院とかを紹介する事は、出来なかった。

しかし、その時知ったのは、そのお客様の酷いお話であった。

その大きな家に一人で住んでいたお母さん。 技術者の一人息子さんがいらっしゃって、絵が趣味の息子さんの為、新築の家には吹き抜けのアトリエがあって、中二階に回廊があり、周りに作品が掛けられる様に計画させてもらった。
引き渡しの時、息子さんに帰ってもらって一緒に住む事を楽しみにされていた。

結局、その息子さん一家は一度も帰ってきて来ること無く、ご子息が亡くなったと伺った。
立派な器が出来れば、帰ってきてもらえると期待していたに違いない。
そして、ご主人が亡くなっていたので、息子様の名義で新築された。

ところが・・・ 現在、息子さんの奥さんから相続人として、家の明け渡しを言われたそうである。

仲良く一緒に住む気がなければ、どんな立派な家も“団欒”の場とはならない。
息子さんとお母さんの間に何があったか知りません。まして、嫁と姑との間に何があったのかも知りません。
私にとってお客様であった、その上品なお客様が結局、この建築を介して、幸せになるどころか、不幸にみまわれた事が何よりも残念でした。

そしてさらに、お客様が顔面神経痛を患う事によって本当の笑顔を失ったのです。
笑顔の無い生活に潤いが在る様には思われません。
本来生活の場である家は、修羅場になる場合も当然あります。
資産・不動産と言われる土地建物、産み出されるモノが幸せであってもらいたいと思うのは、そこに係わった者の切なる願いで在る事を改めて思い知らされました。

2009.1.13