山に行って感じるのは、山歩きをしているのは中高年が中心であるという事です。
楽と苦の二者択一の場合、“楽”を取るのは当たり前かもしれません。
社員を見ていてもすぐ近くのタバコ屋でも車で行く時代です。
今年の比叡山登山では、楽をしました。本当にゆっくりあがったからです。
このコースは途中で何箇所か、びわ湖を振り返る事ができます。
JR湖西線 比叡山坂本駅から6人でスタートした比叡山登山は、3人づつに分かれました。
一緒に行った人の中に、狭心症の経験者が居たからです。
Tさんは去年も我々と一緒でしたが、昨年は彼だけケーブルで上がったのです。
今年は、びわ湖を背にゆっくりとその人を含めて3人で登りました。
足の速い人たちには、先に行ってもらいました。(2時間のコースを3時間掛けました)
ゆっくり上がった事で、年相応の登り方が在る事が改めて判りました。
賑わう山では、大勢の人に「お先に」と言って抜かされます。
目指す頂上は一緒ですから頂上で又出会います。
目標は同じなのですから体力に応じて無理をしなければ、
同じ様に必ず到達点に辿り着けますし、すれ違った人にも又めぐり会います。
山歩きを始めたのは、結婚してからです。
それまで私も山へは、ケーブルやロープウエィを使う派でした。
仕事も忙しく、たまの休みぐらい楽をしたいと思っていました。
なぜ始め出し、今まで続いたのか?
誘ってくれる仲間が居たからです。仕事も一緒です。仲間が居るから出来ますし、続けられます。
比叡山に上がれば、必ず延暦寺の根本中堂で御参りをします。
高野山も比叡山も関西の代表的な仏教の修行場です。
歩いてみると多少は、修行の厳しさも判ると言う物です。
我々に執着はありません。ただ汗をかいて歩いた心地よさと昼過ぎに着き空腹で迎える昼食の美味しさを喜ぶだけです。仕事を完全に忘れる事は実際には出来ません。でも歩いて苦しいときは忘れています。
そこで出会う空気、景色、風。幸せは、何も高額な金を掛けなくても得られます。
山は、仕事から遊離し解放された距離感が何とも言えず清々しい。
|