2011年には、九州新幹線が整備され新大阪〜鹿児島中央駅間が4時間になるそうです。
専ら冠婚葬祭で帰ることの多い私の現在の帰郷は飛行機です。最も効率を重視します。
90歳まで生きた鹿児島出身の私の父は、新大阪〜博多間を新幹線で、博多〜西鹿児島(現在の鹿児島中央駅)を在来線(鹿児島本線)で帰っていました。
しんどくないのだろうかと、いつも思っていましたが高齢になってからも、その手段を一番よく利用しました。
今になると、その気持ちが判ります。転勤族であった父は、九州を何箇所も転勤で移り住んだ経験を持っていました。沿線から見える建物は、様変わりしますが自然の風景は車窓から懐かしく眺めていたのでしょう。時間は節約するだけではなく楽しむものでもあるのです。
豊かさはスピードだけで得られるものではありません。
私も学生時代は、勿論寝台急行霧島なんて列車で帰っていました。(16時間は乗っていたでしょう?)
まだ、窓が手で開けられた時代です。窓を開けて駅弁屋を呼び止めて駅弁を買って、九州に入ってから朝、駅のホームの洗面
所で停車時間中に顔を洗います。のんびりした時代でした。宅急便はありませんでしたから、親から持たされたお土産を沢山携えて場合によっては、鹿児島西駅で赤帽(乗客の荷物を運ぶ人)さんに荷物を運んでもらったりしました。
車中の寝台が解除され座席が向かえ合わせになりますと、同じ列車に乗り合わせた同郷の人達とも話が弾みます。持っているお菓子やみかんも分けあったり・・・
都会に出た者同士の帰郷の車中、同県人と言うだけで親しみを感じて歓談して過ごします。
故郷のある喜びを味わいながら伯父や叔母そして従兄弟の待つ古里に帰って行ったものです。
祖父の記憶は全く在りませんが祖母も私の6歳の時に亡くなったので、叔母の家に泊まっていました。着くと、家に「無事、着いた」と電話をします。
今は旅行に行っても、「何かあったら携帯電話に連絡して」と電話もしなくなりました。
講習会へ行くと事前に、「携帯電話のスイッチを切るかマナーモードに切り替えて下さい」と注意があっても、必ず鳴らす人がいます。
さらに講習中にも係わらず、その場で電話にでて喋る人までいます。
電車の中では、“優先座席での携帯電話はご遠慮下さい”と書いてある前で無神経にメールに夢中になっている人をよく見掛けます。現代人は携帯電話依存症???
今まで会っていた人に別れて暫くして又、連絡を取り合って・・・
携帯電話のお蔭で好きな者同士でも別れの余韻を楽しむなんてないのでは・・・
我々は、便利と引き換えに何か大きなものを失った様な気がします。
人間関係に“間”が失われたのでしょう。
近頃、何事においても性急です。時間の“間”を楽しむ事が無くなりました。
故郷で会った親戚に、ハガキでお礼状を出します。たまに帰るので歓待してもらえました。
汽車で往復していた頃は、たっぷり時間のある帰りの車中でお礼状を書きました。絵葉書や切手はいつも持っていて駅前のポストに投函しました。葉書はその頃からの習慣です。
『雨ふるふるさとは はだしであるく』山頭火。
古里は大切にするものでありました。
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