感謝する心2

私は、元々建築屋ではありませんでした。
社会人になったスタートは、会計事務所に9年間勤めました。
お世話になったのは、学校の先生をして定年前に資格をとったクリスチャンで努力型の先生です。明治生まれで、満州の新京にあった敷島高等女学校で教鞭をとり、満州で足止めをされ、シベリア抑留となり、引揚げて来た人でした。
その私の青年時代にお世話になったH先生は数年前に、95歳で亡くなられました。
社会人となった時に出会った師に社会人として、なんらかの影響を受けたのは間違いありません。

私の父は、定年後こう言いました。
「定年となったとはいえ、まだ税金を払って国にご奉公できるし、税金を払えんほど耄碌はしとらん!」
これは、私が確定申告をして障害者控除と老年者控除で税金が0になった時、言った言葉です。
税金を高く感じるか、義務と感じるかはやはり国への帰属意識にあるかもしれません。
社会人となって、まず税金に関係する仕事に関わった事、そして経営者の税金に対する様々な態度に出会った事は、私の若い心に税金の負担は大人が性格の一端を様々に見せる大きな要件である事を知る結果となりました。

人は、一定期間一緒に仕事をすればその人達から少なからず影響を受けると思います。
その時は、批判的でも今、振り返ってみると教えられていた事が沢山在った事に気付きます。
H先生との出会いがあって私には、現在零細企業の社長の中では正当な税金はキチット払いたいと考えている方だと思っています。
徴兵制は、現在の日本には在りません。従って納税の義務は果たしたいと思っています。
しかし税金の使われ方で、我々よりも遥かに高い公務員の給料の額と比較して矛盾を感じない訳ではありません。
確かに小泉元首相の言った様に「頑張った者に頑張っただけの報酬が当たるのは当然である」格差が生じるのは仕方が無いと言われても、頑張った尺度を計るのは大変難しいと思います。
私が、若い頃に出会った税務署の調査官達は中々の努力家が多かった様に思います。
税務署にノルマは無いと巷間言われていますが、厳しい調査に何度も会い顧問先の担当者でも全く知らなかった事を炙り出したり、事前調査の仕掛けや裏取りの調査技術に舌を巻いたものでした。
その後、以前居た建築会社で総務部長や財務担当専務取締役をしたりしましたので、税務調査に何度も立ち会いましたが、税務署員もサラリーマン化していて時間外に銀行に行って裏面 調査をする以外は、資料箋の突合せをしたり交際費の認定や期末仕掛高の評価違いを指摘したりと、この程度はこの調査のお土産に納税して下さいと修正申告をさせられた以外、我々の予測を覆す様な調査に出会った事がありませんでした。

戦後の日本の所得税法の基礎を築いた一人故植松守雄先生(原・植松法律事務所の弁護士で元関東財務局長)には何度も食事をして話を伺った事が在ります。植松先生が、京都のM製作所の監査役をされていて月に1度程度京都に来ていたからです。その時は、何時も運転手をしました。
東京が活動の中心でしたが京都の百万遍の近くにマンションをお持ちで、そこまで伺わせてもらいました。
3高出身の先生の朝食は、そのマンションから歩いていける進々堂です。
植松先生は、東大出の元大蔵官僚出身の立派な方でしたが、仕事が終わって私にお礼を言うとき「中井さん、今日はありがとうございました」と必ず名前を付け丁寧に御礼を言われました。
先生は、緊張するこちらに対してざっくばらんに接してくれました。ただの運転手に過ぎない私に対しても、食事も何時もご一緒にさせて頂きました。
そして、お亡くなりになるまで年賀状の交流が続きました。
その時のご馳走になったM製作所で良く利用すると言う長岡京の錦水亭・そして、わらじやの鰻雑炊・木屋町の新三浦の鳥料理・木屋町の湯どうふの喜幸 等、人間の頭にはいつまでもそんな食べ物の記憶が残っているものです。
私の場合、人生の先輩達にご馳走になるチャンスが割合良く有った方です。現在の若者達は、案外そんなご馳走してもらえる兄貴分に出会う事が少ないようですが・・・

H先生の話に戻ります。先生は、私がお世話になった頃は奥さんに先立たれ独身でした。60代後半でクリスチャン仲間の60歳前の方と再婚され阪南教会で式を挙げられ私も出席しました。
その後その奥さんの葬送の儀、先生の葬儀と同じ教会で送らせて貰いました。
私はクリスチャンでは在りませんが、その時、下手でも一生懸命に賛美歌を歌わせてもらいました。いずれの式も大変質素で簡素なものでした。

知識とか技術とかは、完成された人格が伴って初めて生きたものとなると思います。
社会に出て高い評価を受けている人達と出会ってその事を強く感じます。

どんな勉強家で地位の高い人でも人格者でなければ失望します。
人は、一生様々な欲望に付きまとわれながら生きて行きます。長生きはしたいし、金持ちになりたいし、いい地位 にもつきたいと・・・ その欲望は、一面人間をつき動かす原動力でもあります。
でもその事に過ぎる人間が多い中、いい人生の先輩に沢山出会った事、これは感謝しなければなりません。
それもありがたいことに発信者と受信者の呼吸が上手く合った事で今もって感謝する気持ちを持ち続けられているのです。

宮本 輝著の小説『流転の海』の松阪熊吾は言います。
「いい人材」とはどんな人物なのか。
「まず運がいい人間でなければならない。しかし、運がいいだけでは駄 目だ。もうひとつ、愛嬌がなければいけない」
愛嬌を振舞って喜ばれる程、私も若くはありませんが、人生を振り返る年齢に達してみて、感謝する心を持ち続ける事が現在の私にとっての義務となる、そんな気がします。

2009.3.30