感謝する心3

春が一気に訪れて今日(2009年の4月8日)は、日中の気温は20度を超えるそうです。
人生が50年でも80年でも桜満開の日差しを浴びていますと、この瞬間に生きていた喜びを感じるのは四季のある日本に生まれたお蔭です。しかも出会えるのは年に1回だけです。

この頃は、調べ物をする時はコンピーターを使う事が多くなりました。検索をして行きますと、どんどん付随した項目が次々と登場してきます。
菅原道真59歳・源義経31歳・織田信長49歳・豊臣秀吉63歳・石田三成41歳・井原西鶴52歳・松尾芭蕉51歳・頼 山陽53歳・吉田松陰29歳・石川啄木26歳・夏目漱石49歳・正岡子規35歳・秋山真之50歳・西郷隆盛49歳・大久保利通 48歳・樋口一葉24歳・緒方洪庵53歳・乃木希典63歳・木戸孝允44歳・福沢諭吉66歳は、大阪情勢判断学会の月例会の案内を作成する際にパソコンで確認した偉人達の没年齢ですが、この人達の業績を考えますとこの年齢を既に超えられているのであれば、我々の人生の残りは、もうけものの様に感じないといけないような気がします。
命に限りがあるのは、神様が我々に“与えられた時間を大切にしなさい”と言う啓示です。

普通、自分自身をコンピーターで検索したところで何も出て来ません。何か特殊な実績のある方は別 ですが!
私が、初めて社会人になった時にお世話になった事務所の事務員さんにR・Tさんがいます。この方も満州新京からの引揚者でした。
両親を現地で失い姉妹3人で互いに手を携え満員の貨物船で帰ってきました。
3人共まだ10歳代です。船中で妹を尿毒症で喪い水葬。
帰国後、姉を肺結核で失い天涯孤独となりました。
終戦直後、彼女はまだ13歳です。戦争が招いた悲劇だと思いますが、彼女の10代は悲しい事の連続で忘れられない事ばかりであったと推察します。
多感な10代に蔭を落とした体験。こんな事はパソコンを叩いても検索できませんし、誰も教えてくれません。勿論彼女自身が自分のことを知って貰いたいと積極的になった事など一度も在りません。むしろそんな悲観的な話、誰にもしたくないのが本音です。

コンピュター万能の世界で多くの人がパソコン依存症になっていますが、パソコンで検索できない事がまだ多くあることをしらないと、人間関係や社会を理解する事は難しい気がします。
国が起こした戦争で、悲劇的な環境に置かれ、身内を全て失っても国は補償してくれませんでしたし、彼女が遺族年金で豊に暮らせる事もありませんでした。

我々の人生は、平均寿命から80年と表現される事が多いですが、いつ死ぬ かは誰にも判りません。そして戦争を知らない戦後世代の我々。不平不満ばかりを呟く戦後世代の我々。
そして戦中世代のR・Tさんは、今年77歳の喜寿を横浜の一人暮らしの公営の賃貸住宅で迎えます。
その生活は終始慎ましく、そのくせ「感謝してんねん」が口癖です。
その強さは、豊かさしか知らない戦後世代にはない逞しさのように思われますが、生き残った“感謝の心”を持ち続けているからだと思います。

「同情されるのが一番いややねん」
と一番家庭を持つ事を夢見たにもかかわらず独身を通 したR・Tさんに喜寿のお祝いを持って行く事を私の家族達は皆、楽しみにしています。

2009.4.8