4月1日は、私の実母の命日です。
「今年の桜は見られへんかな」と言った言葉通りにその年の満開の桜は見られませんでした。2000年に亡くなったので今年で丸9年になります。
満80歳と歳は、十分だと思いますが余命6ヶ月と宣告された後、2年と11ヶ月肺癌と闘いました。
介護認定は、最重度の五級等を貰いましたが、施行日の4月1に亡くなったため受給は全く貰わずに終わっています。
葬式の日に姉の友人が自宅の庭に咲いた桜の花の枝を持参してくれたので、孫達が葬儀場の花以外に沢山桜の花を棺に入れて別
れたことを思い出します。
私の母は娘(私の姉)が、訪問看護の力を借りながら自宅で死ぬ
まで介護をして自宅で家族全員の居る中で息を引き取り別
れを惜しむことが出来、ありがたいことでした。
長い自宅介護の対応をしてくれた姉に「長いことご苦労さんやったな」と言うと「まだまだ体力あったし、まだまだやれたのに・・・」と残念がっていた事には頭が下がりました。
母も女の子を一人産んでおいて良かったと思います。こんな介護は、絶対男の子にはできません!
10年ほど前に桃山台の千里会館であった知り合いのY・Hさんの葬儀は、前代未聞でした。遺族の会葬お礼の挨拶の変わりに本人が挨拶したからです。
Y・Hさんは、淀川キリスト教病院のホスピスで亡くなる1週間前このテープを録音したそうです。上場企業の平取締役で年齢は、まだ60歳代前半であったと思います。
それは「本人から皆様にご挨拶申しあげます」と切り出して先ず奥さんに、そして娘さんと息子さんにお礼をいい、兄弟、同僚、部下とお礼を次々に穏やかに言って「それでは行ってきます」と締めくくったのです。
私も沢山の葬式に今まで出ていますが、本人の言葉が、葬儀場に流れた経験は初めてでした。
何ヶ月も前に用意されたのではなく、1週間前に録音し自分の葬儀の際に流して欲しいと、ご家族に遺言されたそうです。
余命宣告された際は、自分の不運と遣り残した事が沢山在ると言って嘆かれたそうですが、ホスピスに入ってからは、急に大変落ち着かれ、恵まれたいい人生だったと感謝されたそうです。そうでないとあの冷静な言葉は、残せなかったと思います。
何人もの人を殺した殺人犯も自分の死は、恐れます。
何百人の導師を務めたお坊さんや悟りを開くために毎日座禅をする僧侶も死を恐れます。
どうしたら必ず訪れるその時を穏やかに迎える事が出来るのでしょうか?断ち切れない未練、欲望。
この間、読売新聞に紹介されていた86歳の女性の短歌
『仕方なく堕(おろ)そうとした子供より真心こもる介護うけゐつ』
に詠われている様に長い人生、不思議な“縁”に出会い結果
、感謝する心を持てた人。
私の母を自宅から葬儀場へ運ぶ車に乗っていた時、真横を訪問看護で来てくれていた看護婦さんが自転車で、暫く偶然に並走しました。
勿論、その看護婦さんは、何も気付いてはいません。訪問看護や訪問医は対象の人が亡くなれば、その日から家に来る事はなくなります。
その看護婦さんに車上から母が、その“縁”にお礼を言っている様な気分になったのは、車中の皆が車窓の外のその人に気付いたため私だけではありませんでした。
余りにも奇遇な“縁”を感じる瞬間の出来事でした。
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