『兄弟2』

宮本 輝 著『流転の海』の主人公 松下熊吾は、50歳で初めて男の子 伸仁を授かりました。「子供は親を選べない」いや「子供は親を選んで生まれてくる」この述懐は、敗戦後のドサクサの中、何とか無事に子供を一人前に育てるまでは死ねんと覚悟が伺える父親、松下熊吾の台詞です。
宮本 輝著『星宿海への道』の血のつながりの無い戸籍上の兄 雅人と弟 紀代志そして、伊坂幸太郎著『重力ピエロ』の異父兄弟の兄 泉水と弟 春。
いずれも数奇な運命の兄弟として育ち、互いに影響と引力を感じます。

兄弟と言うのは、身近に出会う人生最初の隣人です。
同じ屋根の下に住み、同居する親の育てる姿勢にもよりますが、遠慮会釈無い人間関係だけに血のつながりの有る無し、濃い薄いに関係なく常に戦闘的で、友好的で気になる相手となって育っていきます。

アルベール・カミュの小説『異邦人』のアルジェリアのアルジェに暮らす主人公ムルソーは、養老院から届く母の死の知らせに全く感情を動かしません。
その事で、日常は何も変わらないとばかりに普段通 りの生活をします。今までも離れて暮らしていたママンがさらに遠くに行ってしまっただけなのだ・・・

私のはとこが2年程前に50代半ばで結婚しました。彼女は初婚です。
相手は自分が勤めている会社の年下の上司でした。
彼女のお母さんは、私の母と子供の頃、姉妹の様に育った従姉妹でしたので、はとこでも家族ぐるみで親しくしていましたので大変嬉しい結婚の知らせでした。
彼女のお爺さんつまり私の祖父の弟は、大正時代にアメリカの高校を卒業し、ウィスコンシン大学を出た変わり者でした。
晩年は、鹿児島の湯之元で温泉を掘り当て温泉旅館を経営して、当時のプロ野球の国鉄スワローズの春季キャンプを誘致したりしていましたが、70歳過ぎで亡くなり、残されたおばあちゃんを実の娘である彼女の母親が引き取りました。
その後長男の住む東京へ行ったのですが、結局老人施設に預けられた為おばあちゃんの生きている間、自分の住む大阪から東京によく面 会に行っていました。
その後彼女の母親も体を患い、長い間(おそらく10年以上)看病の付き添いで勤め帰りに病院通 いをしていました。
もう10年くらい前の話ですから今の様な介護保険の制度もない頃です。
彼女が、経済的にも時間的にも一番いい年頃を自分の祖母と母に捧げたといっていいと思います。
コンピューターの会社に大卒で入り、当初は男子に混ざって対等に職場で頑張っていましたが、母親の看病が加わってからは就業時間を切り詰めたため出世からは取り残されていったと思いますが、母親の世話の為に割り切っていました。
キャリアウーマンとして生きるのかと思っていたら娘としての行き方を選択し、おばあちゃんやお母さんを大事にそして大切にしていた彼女の生活を知っている私は、彼女の事を理解して結婚を申し込んだ相手の出来た事、ご縁に巡り会った事を心から喜びました。
ムルソーは人の感情の一面です。しかし彼女の母親や祖母に対する感情は、最後まで献身的で誠実で優しいものでした。
「看病は私の生き甲斐やから」という言葉にそれは純粋に表れていました。

人は、年老いていく母親に失望していくものです。
何時かは自分達もああやって衰退しこの世から消えていく存在なのです。
私のはとこは、両親の墓をI市に求め、生き甲斐の看病が無くなった後、いつでも墓参りが出来るように近くに住んでいました。
猫を飼って猫との同居を楽しみながら結局、平社員のまま仕事を職場を変える事もありませんでした。
親や身内の為だけに生きた、というのでは余りにも切ないと思っていましたが、過去に拘る事が後ろ向きではないことを彼女を理解するパートナーが出現したことで改めて彼女から教わった気がします。
職場での彼女は、それでも生き生きとしていたのでしょう。年下の上司から見て魅力的に感じられるほどに・・・

「親不孝な人間が、しあわせな人生をおくったためしはない」
宮本 輝著の小説『青が散る』の主人公 椎名燎平が佐野夏子に言い放ちます。
親孝行であった彼女が幸せになって当然です。 世の中まだまだ捨てたもんではありませんでした。

2009.4.27