『会話』

これほど色んな人と出会い、色んな人と話をしてきたと思うのに意外に印象に残る会話を思い出しません。
亡くなった父親が85歳を越えた頃、私に「この間から眼が痛くて、しょちゅう眼を擦っていたんや、そしたらな眉毛が伸びて眼に入っていた。眼の前のモノが見えへん様になった」と言って私に笑って話しました。そして「髪の毛は、のうなるのに眉毛は伸びよる」と言いました、父親と二人だけで喋ったそんな会話を思い出します。

私が以前勤めていた会社の大先輩が(今年ご存命であれば77歳の喜寿です)、癌で53歳で亡くなった通 夜の席、その方の妹さんがお坊さんに、「兄は何処に行ったのですか」と聞かれました。
少し躊躇して「お浄土」ですと、お坊さんは答えました。
「お浄土は何処にあるのですか」それに対して暫く考えて、「皆様のこころの中です」と答えたお坊さんと妹さんとの24年前の遣り取りを今も思い出します。
勿論その時、妹さんは納得された様子ではありませんでした。

天童荒太さんの小説『悼む人』の主人公、坂築静人がその人がこの世に居た事を心に刻み、記憶に残すと言うそれに共通 しています。
昨年、アカデミー外国語映画賞を受賞した映画『おくりびと』にも納棺師の姿に遺族を癒す死者に対する職業人としての思いやりの所作が描かれていました。
現代は、余りにも悲惨な事件が多く心和む事が少ないですが、逆に人はこんな時代故に、見えない“こころ”に救いを求めるのだと思います。

この頃、健康で認知症にもならずに100歳を超えたお年寄りを見るとノーベル賞受賞者より尊敬してしまいます。欲望の渦巻く現代においては、健康で過ごす事は、至難の業です。
人生80年の時代と言われますが、生涯80年在る保証は何処にもないのですから・・・

『2001年宇宙の旅』と言うアメリカ映画を覚えています。
この映画は、家族で一緒に見に行きました。1968年にアメリカでの公開ですからその年か翌年に日本で公開されたのを見たのだと思います。
スタンリー・キューブリック監督の哲学的な内容の映画でしたが、人工冬眠とか人工知能HALといった内容と共に印象に残った映画でした。

1969年は、アポロ11号のアームストロング船長・オルドリン操縦士が人類として初めて月面 に降り立った年でもあります。私の両親など「お前達の時代には、宇宙旅行に行くのが当たり前の様になるね」と我々子供達に言ったものでした。
しかし、「2001年宇宙の旅」に描かれたジュピターミッションは映画のようには実現せず、現実には2009年の今日、それ程までに宇宙旅行が恒常化したとは思われません。
しかし、宇宙の広がりに我が身や人類の個体を置いて考えて見るとき我々の存在の小ささは、明らかです。
まして日常の嘆きや悲しみは小さ過ぎて誰にも気付いてもらえなくて当然です。しかも宇宙から見れば人生80年は、ほんの一瞬に過ぎません。

お釈迦様は、“こころ”の持ち様で人の煩悩の解決方法が有ると説かれたのだと思いますが、我々の会社の先輩の妹さんが、建築家としてそのスマートで人付き合いが上手で活き活きと活躍してきた、余りにも若い兄の死を許せないのと同様、気持ちの整理には時間が掛かります。
お坊さんの出された結論は一面正しくとも今後、亡兄と出会える方法や必ず我々も行くであろう所をもう少し具体的に親切に無理難題であっても答えてもらいたかったに違い在りません。なぜならそれ程までにあっけない別 れに遺族の心は深く傷ついているのですから・・・

私も姉を失い別れがありました、しかし一方姉の心に深く刻まれ、自宅で最後まで介護した両親との再会が死後に有った事を願わずにはいられません。
私も姉の穏やかな死に顔に何度も何度も問うてみました。
我々は、生涯を通じて掴める事、知る事、判る事は宇宙の広さが永久に届かない場所で知る事の出来ない永遠の謎であるのと同様、我々の知る事は周辺の1%にも満たないのです。

判らない事だらけの判らない事を信じないより、確信して願うしかないでは在りませんか。

2009.5.29