桜 葬

亡くなった姉は、延命処置、つまり生命維持装置はして欲しくないと言っていたそうです。
その為、逆に穏やかな息の引き取り方が出来たのかもしれません。

亡くなった姉はもう一つ、“桜葬”を希望していたそうです。
私も経験が無いので、あまりまだ詳しい内容は判りませんが、遺骨を埋めてその上に桜の苗木を植え、命日に親族が桜の花見に集まり故人を偲ぶ、そんな形式のようです。

19歳の時に鹿児島の大島桟橋から奄美大島・徳之島・与論島に行ったことがあります。40年前の事になります。
その時にそれらの島で見たのが、洞窟に死者を弔う“風葬”の風習でした。
その時は、なんとも思わず興味本位で髑髏(しゃれこうべ)を触ったりしました。
現在は、観光地となった美しい海の奄美諸島の大事なご先祖様の風葬の場所に簡単に入れないかも知れませんが、私の行った頃は風葬場所に自由に出入りが出来ました。

火葬されて出て来た姉のお骨を見た時、何かやっと諦めの気持ちになれたものの、こんなに強力なエネルギーで燃やして骨をボロボロにする事はないのにとも思いました。
勿論、骨拾いは何度も経験していますが、その時改めて感じました。

風葬や鳥葬は、死者を自然に還す風習ですが、自分自身の時はどうしてもらいたいのか・・

今都会で現実には叶いませんが、お棺無で死体をそのまま埋めてもらう土葬が自分としては最も望むところです。
肉体は、土に大地に地球に還したいと思います。

桜葬で姉の魂が、身内が揃う、心地よい季節にその場所へ帰ってくるそのイメージは、強く湧いてきます。
私も遺骨で埋められるのではなく、自分の遺骸の上に桜の苗木を植えてもらいその桜の根が全身に絡み、微生物と一緒に桜の栄養となり成長し続け、毎年花咲くのであれば同じような埋葬を希望します。
死後の事を真剣に今まで以上に考えるのは、身近な姉が死んだからでしょう!

「さくら」は、「さ」が山の神を意味し、「くら」は、神が鎮座する場所を示します。
神がいる場所を「さくら」と我々の先祖は呼んできたのです。
昔の人は田植えの前に豊作を祈願し、神のいる「さくら」の下で飲み、踊ったのです。
山の神は、神域に住んでおり、一般の人とは境界線でくぎられており、その線をサカイ(境)と呼び、設けられた垣根をサク(柵)と呼んできたのも桜からの由来と聞きます。
その事からも日本人にとって“さくら”は、特別 ですし、神聖な花で、場所です。

タンポポの綿毛が飛ぶのを見ながら、この植物達の変身に思いを馳せます。
青虫がサナギになり、蝶に変化させる事を誰が考えたのでしょうか?
水を遣るだけで大地から勿論種は必要ですが、なぜ茎が伸び花を咲かせるのでしょうか?
大地が全ての源で、地球の生命の源は海かもしれませんが、どちらにせよ大地の生命を生み出す力に子供の頃から驚いてきました。
遺伝子の構造がそうなるようになっているんだ!と言われても私には判りません。不思議な力、そこには理解を超えた能力が働いているとしか思えないのです。
大地の逞しさに比べ、我々の命は、はかないものです。

『利休にたずねよ』(山本兼一著)で千 利休は言います「命は、はかないゆえに美しいのだな・・・」

2009.6.4